Artist Statement
少女たちの宇宙
―見つめる瞳は宇宙の彼方―
太古の時代、女性は出産することから、大地の生命力や豊穣性は女性に喩えられ、地母神として信仰された。
ギリシャ・ローマ神話や日本の神道など、多神教においては女神も存在する。
しかし社会機構の中では、古代ローマ時代や日本の平安時代以降、一般には男性が公的な領域で活躍し、政治や経済の中心に立った(少数の女王、女性天皇も存在はした)。
ルネサンス期以降、芸術家たちは裸婦像や女性の美を称賛する絵画を多く制作した。賛美されると同時に、これらの作品はしばしば男性の理想化された視点から描かれたともいえる。
現代、国際連合が採択した17の目標SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)の一つにジェンダー平等が掲げられるなど、ジェンダー平等の意識的運動は進んでいるが、制度のような形にはできない女性への無意識の期待や理想も残っている。
例えば、女性に対し、「女性なのに」女らしくない・優しくない・控え目でない・気が利かない…… などという批判の仕方がある。
そのような女性への無意識の期待を裏切りたいと思う。
社会や経済のシステムの中でなければ、人はすべて平等であるはずだ。
生と死、そして病には、男女も社会的地位も経済力も関係がない。
私が描く世界はそういう世界であり、そういう世界を動かす存在者として少女を配置した。
少女たちには自分の世界を動かすという役割がある。
そうして子供のころから私がほしかった「ここにいてよい」という感覚を、私は彼女らに与えてやりたい。
私が絵の中に先史時代の豊満なヴィーナス像ではなく、少女を置くのは、一見、か弱いからである。カワイイ外見は、少女像が理想化されていることを強調している。
しかし外見で決めつけてはならない。生命が生まれることには、死ぬことも対になっている。彼女は世界の生死を司り、見つめる者なのである。
Biography
私は、幼いときから、考えていました。
「なぜ私は生まれたのか?」
「私は生きていてもよいのだろうか?」と。
存在する理由や価値がなければ、自分の存在は許されないのではないかと、私は感じていたのです。
幼い私は、この世界(幼い世界観での、自分の周囲)のどこに自分の居場所があるのかと探し、「そもそもこの世界はどうなっているのか?」を空想しました。それは、古代ギリシアの哲学者たちが、宇宙や自然の幻現象を説明する理論を編み出した過程にも似ていたし、星座や物事の起源が、神話や昔話として想像され語られる過程にも似ていました。
私の精神世界の旅はこうして始まりました。成長するにしたがって、学校で科学的な知識を得ましたが、科学でどんなに探究しても、「世界とはどういうものか?」という問いの答えが得られるようには、私には思えませんでした。
この世界を一気に理解するのは、科学ではなく、哲学ではないかと考え、私は大学と大学院で哲学を専攻しました。けれども、先人の哲学を研究することでは、私は満足できませんでした。
英国の美大の研修中、作品の背景のコンセプトがとても重要視されていることや、自分に無意識にしみ込んでいる日本的なものを自覚しました。
私は想像の世界を描き、そこに少女を配置し、役割を与えています。少女たちは肖像画のように単にポーズを取る「カワイイ子」ではなく、何らかの行動をしています。
絵の中の世界を動かすこと、それが少女たちの存在理由です。子どもの頃からほしかった「自分がいてもよいのだという感覚」を、私は少女たちに与えています。
日本のマンガやアニメーションに囲まれて育ったので無意識的にもそれらの影響は受けているのですが、日本のアーティストとして、私はそれを意識化しようとしています。
マンガやアニメーションのキャラクターのような少女たちを、私は油彩でリアルに表現しています。"kawaii" 少女たちの不思議な実在感に、東洋と西洋の融和を見て取ることができるのではないでしょうか。
また、その少女を日本の伝統的絵画に配置することもあります。
そのようにして描かれた少女たちは、私の代弁者であり、私が自問自答してきた問いをみなさんへ問いかけます。
「あなたは、何者ですか?」
「宇宙の中で、あなたはどのような存在なのですか?」
「この宇宙という機構の中で、あなたはどこに位置し、どのような働きをしているのですか?」